1936年山形県鶴岡市生まれ。生まれて間もなく北樺太オハに移り、一年後東京世田谷に住む。その後疎開のため郷里にて小学2年から高校卒業までを過ごす。この間、合唱、ピアノ演奏、指揮や作曲をさかんにした。とりわけ、鶴岡市立第三中学校で出会った音楽教師「三井直先生」からは大きな影響を受ける。
慶應義塾大学工学部で電気工学を専攻する傍ら作曲を志し、清瀬保二氏に師事。
1959年、第28回日本音楽コンクールに入選。同時に、作曲グループ「耕人会」や日本現代音楽協会を中心に発表活動に入る。当初から民族的な感覚の濃い色彩豊かな音の響きを特徴とする作品を継続的に発表した。
日本音楽コンクール作曲部門審査員、その他多くのコンクール審査員、日本現代音楽協会委員長などを歴任。さらにNHK邦楽技能者育成会や、最晩年には東京芸術大学で現代邦楽の演奏家育成指導に務めた。
また、自身の作曲活動に励む傍ら、40年に亘りカワイ音楽教室の教材制作と講師の育成に関わり、ピアノ曲、ミュージカル、母子のふれあい遊びなど、多くの作品を残し教育的指針を示し続けた。
2002年3月18日 永眠。
2002年10月1日 山形県鶴岡市より市特別文化功績賞が贈られた。鶴岡市にある
大寶館に、生前の業績や資料が展示されている。